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ある意味、私も相当不思議ちゃんしているかもしれない。
今日洗濯物を片付けながら、いろいろ妄想を廻らしていました。 私は余程前世で酷い事をしてきたのかもしれない。 もしかして悪魔に魂でも売り渡したのだろうか・・・、などと。 そうとでも考えないと、今生での苦痛が読み解けない気がしたからだ。 だから、通常の家庭に育ち、普通におっとり育てば経験しなかったであろう苦しみを、 そういう人の何回分も味合わされている気がしてならない。 ハンデを背負って生まれ、数々の苦痛を噛み締め、 もう少しで、やっと通常人のスタート地点に辿り着く所なのではないだろうか。 まだ、リハビリ期間はちょっとだけ残っている。 そ~んな事をぐるぐると考えていたら、 「行って汝のなすべきことをせよ」 という台詞が浮かんだ。 確か、最後の晩餐で、イエスが今正に自分を売り渡そうとしているユダに言った台詞。 試しにネットで検索してみたら、 ジーザス・クライスト=スーパースター(ミュージカル)しか引っかからない。 実際はどういう記述だったのだろう、とWikipediaを参考に、 聖書を引っ張り出した。 「ヨハネによる福音書」13.26-27 イエスがユダに向かって行った台詞は以下のものだった。 「しようとしていることを、今すぐするがよい」 やはり記憶違いだったのだろうか。 ついでに、「キリスト最後の誘惑」という名で映画化された問題作、 ニコス・カザンザキスの「キリスト最後のこころみ」の和訳を引っ張り出す。 「私の兄弟、ユダよ、行け―神の祝福があなたの上に豊かにあるように!」 となっていた。 上記の小説では、ユダは裏切り者として描かれていない。 イエスの一番の理解者であり、イエスの神の子としての成就のため、 胸を痛めつつ密告する、という役割を与えられている。 私個人としても、そういうユダの方が受け入れやすい。 イエスの身近にいる事を許された弟子が、 金貨に目がくらんで裏切るとは思えないからだ。 キリスト教徒ではなく、聖書学者でもないので、 勝手な推測に過ぎないため、 気分を害される方がいたら、申し訳なく思う。 前世はもしかして・・・から、ここまで行き着いてしまった訳である。 では何故この言葉が浮かんできたのだろうか? 私のやるべき事は何? 私は何のために生まれてきたのか? たぶん子孫残す事はないだろう私はカタワものではないのか? などの疑問が吹き上がっているからだろう。 今日、午後2時から放映していた、 「愛と魂のピアニスト フジコ・ヘミング物語」を見た。 そこで行き着いた答えは、子供意外の何かを残すしかない、という事。 それが「なすべきこと」なのだろうか? 彼女もスペシャルゲストの三輪明宏も遺伝子上の子孫は残していないが、 別の形のものを、かけがえの無いものを沢山残している。 こういう方たちと自分を比べるなどという大それた考えは持っていないが、 肉ではなく、魂の遺伝子というものもあるのではないだろうか、 というのが今現在辿り着ける精一杯の私の答えだ。 フジコ・ヘミングのぽっちゃりした指から奏でられる音の魂は、 とても暖かく優しく、視界が滲むほどに目を潤してくれる。 如何にも弾いてます!というような演奏ばかり耳にしていたため、 私はショパンやリストは嫌いな方に入っていた。 だが、彼女の曲は、そのイメージを一掃してしまった。 レッテル貼りばかりの己の心の幼さを悟らせてくれた。 半月ほど前に見た落ち行く夕日に照らされた雲と空の美しさに涙した如く、 フジコ・ヘミングのラ・カンパネラの切なさに、 涙を止める事が出来ない。 と、妄想癖からユダ、フジコ・ヘミングへと、 やはり私の思考はとりとめなく、流れていくのであった。
by Nixe_ll88
| 2007-07-01 17:20
| ひとりごと
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