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2月6日の『ガイヤの夜明け』の簡単なレポをします。
タイトルは「家があなたを壊すとき~シックハウス・化学物質過敏症と闘う~」 2006年11月、河原で過ごす母娘の姿があった。 母は52才、長女は20才。 自宅に食事の用意のためにマスクとめがねをして帰る。 そのうち母は、目がおかしくなりだし、しきりに目をこする。 そして咳が出る。 ついには吐き気にえずきながらの家事となる。 その原因となる物質は外から入ってくる。 窓を閉めても防ぐ事ができない。 シックハウス症候群とは、建材に含まれる化学物質による健康障害である。 喉の痛みやめまい、頭痛などが主な症状である。 シックハウス症候群が悪化すると、化学物質過敏症へと発展する。 家の内外の様々なもの、香水・タバコ・排ガス・農薬などに反応してしまうようになる。 日本では現在70万~100万人の患者がいると言われている。 ふくずみアレルギー科の吹角院長はこう述べる。 化学物質過敏症になった人は有害なものから逃げる事ができる。 ならなった人が癌や病気で倒れる。 大阪市中央区にあるふくずみアレルギー科の吹角院長は、 自身が新築をきっかけにシックハウス症候群となり化学物質過敏症になったという。 彼は、患者に家の写真を持ってきてもらい、 2時間かけて原因を探り対策を立てる。 患者の一人、名古屋市のイラストレーターは、板金工場を買い取り2年前にリフォーム。 入居の夜、のどが詰まり、呼吸ができなくる。 そして化学物質過敏症を発症。 シックハウスの知識があったため、床をムク材にするなど配慮はしたが、 原因は床下に撒かれた白蟻駆除剤だったのだ。 化学物質過敏症となった51才の女性は、4年前に島根県の田舎に移り住んだ。 その辺りは有機農業が盛んであり、農薬による影響の心配はない。 だが取材初日、屋外での撮影中に具合が悪くなり、 体を支える事もできなくなり、その日の撮影は中止となる。 取材班の服やカメラ等に付着したわずかな化学物質に反応してしまったのだ。 日を変えて、家の中での取材となった。 スタッフは玄関先でお風呂に入り、無添加石鹸で体を洗い、 無添加の洗濯石鹸で洗った、用意してもらった服に着替える。 彼女は、10年前新築マンション購入後、具合が悪くなり、 1年間寝たきりの状態となってしまった。 30件もの病院をたずねるが、病名がわからない。 気のせいと言われたり、自律神経失調症と診断される。 彼女は完全に医者不信に陥っていたという。 彼女の夫は、会社を早期退職し、共に移住した。 夫ははじめ妻の病気が信じられなかった。 彼女は、離婚してでもマンションを出ると泣きながら夫を説得という。 田舎に転居して落ち着いていたが、去年の梅雨の時期、カビと花粉に反応してしまい、 具合が悪くなってしまう。 現在彼女は、日原共存病院に通院している 消毒液など多くの原因物質があるため、院内に入れない。 そのため担当医はあらかじめ服を着替えて外で診察をしている。 湿気のたまっていしまう現在の家から転居すべく、 二人は引越先を探すが、僅かな化学物質にも反応してしまうため、 なかなか転居先が見つからない。 全く反応の出ない家を見つけるが、目の前に田んぼがある。 農薬を使用するため、その家は諦めるしかなかった。 二人は150件もの家を見てまわり、家探しをしている。 ある夜友人が訪れた。 いつものように友人にお風呂に入り用意してもらった服に着替えてもらう。 だが夕食中に具合がおかしくなる。 外へ出て、新鮮な空気を吸わせるが、全身が脱力した状態になってしまっている。 症状が出た時の避難用に用意している車の中へ運ぶ。 化学物質過敏症は、いつ症状が出るか解らないという恐怖が常につきまとう。 大和ハウスは、シックハウスに配慮するため換気に力を入れている。 24時間作動する換気扇を部屋ごとつけられるようにしている。 無添加住宅を経営する秋田さんは、8年前、 シックハウスを気にかけるお客からの問い合わせをうけ、 シックハウス症候群を知り、 家を昔に戻すべきとの発想にたどり着く。 接着剤は、昔ながらの米のりを使い(乾燥に1日かかる)、 白蟻駆除剤として、塩を入れた柿渋を使用。 現在ホルムアルデヒドやトルエンなど13物質がシックハウスの原因として規制されている。 だがそれでは不十分だといわれている。 規制されるとそれ以外の有害な物質が使用されるようになる。 シックハウス症候群の専門医は少なく、 化学物質過敏症に関しては更に少なく、しかも自由診療となってしまうのが現状だ。 河原で過ごしていた母娘は、マスクをしても2~3時間が家にいられる限度だという。 家に入ると5分程で咳や吐き気などの反応が出てしまう。 長女は桜美林大学に在籍しているが、通う事がきない状態。 58才の父親は二人程ひどい症状はない。 母娘は、やはりシックハウス症候群から化学物質過敏症へと悪化している。 新居を購入し、夏だったため窓を開けていた。 近所に化学物質を排出する工場があり、それらが家の内部に入り、染み付いてしまったのだ。 まず母が発症する。 いきなりの下痢と頭痛、嘔吐。 それまで仲の良かった家族が、ぎくしゃくとしてしまう。 長女は語る。 父と妹が母の症状を気のせいだと軽く気楽に話しているのを見て、 彼女はネットなどで調べた資料を理解してもらおうと父に渡した。 だが父は、読みもしないで資料の束をバサッと投げ出してしまい、 信じようともしなかったと。 母は家族に自分の苦しみを信じてもらえない悲しみを味わう。 だがその半年後、長女が発症。 やっと父は理解したという。 父は家の事ができなくなった母の代わりに休職して家事をしている。 夜は自宅に帰れないため、症状の出ない知人の家を転々としている。 二人が河原で過ごしていると、父が晩御飯のため車で迎えに来た。 家に入り、食事の最中に長女の様子がおかしくなる。 もうだめだ、と自ら外へでる。 父が付き添い、体を支えられなくなった長女を抱えるようにして外を散歩し、 30分程いい空気を吸わせる。 他にどうしたらいいかわからないのだ。 やっと程よい借家が見つかる。 壁に封止塗料という、化学物質を閉じ込める塗料を塗る。 フローリングは、裏側は合板が剥き出しになっているため、 床板の隙間から化学物質が室内に入らないように、 化学物質の発散を防ぐ特殊な断熱材を使用。 島根では、恵みの雪が舞っていた。 雪はカビを封じ込めるため、快適な季節となる。 彼女はある取り組みを始めている。 NPOを立ち上げ、全国からの化学物質過敏症者の相談に乗っている。 将来は、安心して住める場所を見つけ、 そういう人達と共同生活をし、農薬を使わない作物を作って暮らすのが夢だ。 河原で過ごしていた長女は、久しぶりに大学へ行く。 彼女の夢は教師になる事。 そのためにも大学に通わなくてはならない。 空気清浄器を用意してもらい、中国語の授業を受けるが、 途中で具合が悪くなり帰らざるをえなくなってしまう。 彼女は大学の副学長にある提案をした。 専用の教室をひとつ用意してもらいたい、というものだった。 副学長の返事は、いろいろ検討しているが難しい、というもの。 自分の症状を学生に理解してもらおうと、大学で体験談を語った。 まず化学物質過敏症がどういうものなのか知ってもらう事が大きな一歩となるからだ。 彼女は、自分の苦しんだ経験を生かして、 子供達の身になって考えてあげられる先生になりたい、と語る。
by Nixe_ll88
| 2007-02-17 20:12
| シックハウス・化学物質過敏症
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