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5月15日日曜夜10時よりNHKで放送されたETV特集
「ネットワ―クで作る放射能汚染地図~福島原発事故から2ヶ月~」が 大変話題になった事は言うまでもないと思う。 再放送は、5月20日(金)午前1:30~ となっているので、 見逃した方はお勧めする。 2011年5月20日(金) 再放送 【総合テレビ】午前1時30分(木曜深夜) ネットワークでつくる放射能汚染地図~福島原発事故から2か月~ 現在動画サイトにアップロードされているが、 いつ削除されるか不明のため、 このブログでは掲載しない事とする。 ものすごく簡単なメモを取ったので、以下に掲載する。 もしかしたら、本人にしか読めない可能性あり。 ※誤字脱字等ご了承頂きたい。 木村真三氏(43) 放射線衛生学 東京自宅マンションでバキューム型装置による放射能検出作業 3月15日朝 木村氏、東京に初めて放射能が到達した日のフィルターを 京都大学原子炉実験所に送付、分析してもらった 大量のI131検出 福島の住民が避難して無人の町、土壌・草・雪などのサンプルを採取 かつて 放射線医学研究所 勤務 JCO臨界事故の調査 その後厚労省の研究所 自主的にチェルノ調査 福島事故後、職場の幹部が自発的な調査をしないよう指示 → 辞表 福島のサンプル→原子炉実験所 今中哲二氏に依頼 →広島大学 遠藤暁氏・静間清氏 →長崎大学 髙辻俊弘氏 最新機器で分析 岡野眞治氏 木村氏と協力し、自ら開発した最新測定記録装置 放射能汚染地図作成 <科学者たちが連携しながら実態調査した2か月の記録> 3月15日 木村氏とETV特集班 2号機が爆発した日に取材へ 3月16日 原発から西35kmの田村氏立常葉中学校へ(常葉町) 学校長の許可を得て、土壌採取 →9種類の核種 I131が一番多い 515万Bq/㎡ 同じ場所の空間線量 1.91~93μSv/h 通常の40倍 大気中の放射線量が最大になった日 時折雪 原発から西22km田村市都路町 土壌サンプル セシウム134・137 24万Bq/㎡ →チェルノブイリで移住保障されるゾーンの汚染 同地で松葉採取→広島大静間氏分析 *サンプル採集を急ぐ理由 JCO事故で初動遅れ半減期短い核種補足不可 原発から10km辺り 250μSv/h →レッドフォレストを超えている ※レッドフォレスト チェルノブイリ原発事故後、放射能汚染により 木々が赤く染まったという一番汚染度の高かった地 小林(地名) どんどん西へ 車内で300μSv/h超えている(振り切っている) 別の地点 車内30μSv/h ↑ホットスポット 汚染 まだら状と考えた 大熊町(立地町)へ向かう 国道6号線断裂で先に進めず 長者原 2.4km先の福島第一の煙突が見える 原発に向かって西風が吹いていた 空間線量 120μSv/h 断裂した道路に車が放置 車が汚染されてしまってて300μSv/h振り切る 双葉町山田 原発から4km ホットスポットと思われる地でサンプル採取 空間300μSv/h振り切る →サンプル I131 1億6600万Bq/㎡ セシウム 計2120万Bq/㎡ 3月20日~ 南→北というルートでサンプリング行う 20~30km圏内3地点 いわき市末続(すえつぐ)・川内村・葛尾(かつらお)村 セシウム比較 末続の1.5倍が葛尾 日没後 葛尾村へ 17日に全村自主避難の地 1件灯がともる家発見 競走馬を育てる一家 お産予定日を超えた馬がいるため動けない 3日後再び訪問 仔馬誕生していた →今後どうしたらいいか解らないと言う(その後馬売却し引っ越し) 「放射能汚染図」を作成するため、岡野眞治氏(84)を鎌倉に訪ねる 23日鎌倉に降ってる 岡野氏 環境放射能測定の草分け 戦後、理化学研究所 日本の原子科学の父ニシナヨシオに師事 54年ビキニ水爆実験時調査船「俊骨鳥(骨鳥で1文字)丸」 86年チェルノ事故→NHK取材班と現地へ 独自装置 国際的評価受ける 装置:筒状の検知装置と記録装置 6秒毎に位置と数値 3月26日 借りた装置を手に福島へ 「雪で沈着した放射性物質が土壌汚染」 ※時間も解るようキャプチャしてみた 浪江町北西 山で隔てられて低く、北部高い 3月27日 NHK取材班 浪江町赤宇木(あこうぎ) ホットスポット 集会場(原発から27km)に第一原発付近からの避難者 外の空間線量 サーベイメーター振り切れている(20μSv/h超え) 4組夫婦と4人独身者計12人 留まらざるを得ない事情 吉田夫妻には飼い猫連れている 岩倉夫妻 自宅の犬猫の餌やり 「原発東電が憎い、電気がなくても良い」 最寄りの役場支所閉鎖の知らせ 3月28日 NHK取材班 浪江町役場津島市所へ 閉鎖された役場に職員残っていた 避難先に二本松から日中だけ通う(2人) 赤宇木集会所の人々の情報源はTVのみ ネットなし、携帯不通、役場が避難所として認可せず支援物資もなし 集会所近くの養鶏所へ 四万羽、一日3万個の卵出荷していた 鳥の餌届かない(放射能恐れ運搬しない) 餓死し始めている →数日後 全滅(餓死) 1950年シベリア抑留から生還し50羽から始めた養鶏場 赤宇木集会所へ 木村氏計測に 入口80μSv/h 土壌サンプル セシウム計400万Bq/㎡ I131:2320万Bq/㎡ 原発4km山田地区に次ぐ数値 集会所裏の畑のキノコ(セシウム吸収し濃縮)42万Bq/kg→食用シイタケの840倍 集会所内 20μSv/h 避難者に説明 通常0.06μSv/h、外では1200倍強 飯館の3倍 飯館より高いと知らず、割合安全と思っていた、と避難者 30日に去る事にした →赤宇木が計画的避難区域に設定されたのはその12日後 計画的避難区域内でも突出 ※計画的避難区域 年間20mSv以上予想され一定期間非難が求められる区域 文科省 2号機爆発した15日から放射線量の計測開始 HPに公開 3月15日の計測ポイント3カ所、いずれも高い数値→地名伏せられている 計測値③は330μSv/h 日本平常値の5500倍 計測地図は北西方向 ③は赤宇木付近だった 文科省はこの地域に既に注目していた データは官邸に上げられていた 3月16日枝野会見 文科省から公表されたデータを専門家に概略的分析 「ただちに人体に影響を与えるような数値ではない」 3月23日~ 放射線積算量も計測 赤宇木にモリタリングポストを発見 「32文科省測定中」という文字 集会所の人が脱出した30日までに、25mSv/yを超えていた 屋内にいる事を考慮しても数カ月で 原子力安全委員会が避難基準とした年間50mSvを超えるのは明らか 浪江町臨時役場(二本松市東和支所内)へ 馬場有市長 町はデータの存在は知っていたが、赤宇木について地名が番号になっていて重要視せず 市長「文科省から出ているやつをHPで取ってきたものを 私に報告があったという事であって、正確、正式ではない」 文科省からの町への報告はなし 「責任の所在が文科省にあるのか、経産省にあるのか、 安全保安院にあるのか、それが一元化されていない」 赤宇木集会所にいた人の中には、スクリーニングで基準値を超え、 除染必要な人もいた 文科省に取材→地名を伏せていたのは風評が拡がる事を恐れたから 4月21日 27km離れた赤宇木で高濃度汚染続くのか、岡野氏・木村氏現地調査へ ビデオカメラに撮った映像に、放射線量と時間と位置を記録するシステム 下部バーグラフが放射線量、スペクトラムも表示 まず、南8km浪江町中心部→線量計はそれ程振れない 常磐線浪江駅 1μSv/h 赤宇木の20分の1 岡野氏、アスファルトの多い街中では放射能が雨などで洗い流される 浪江を赤宇木を結ぶ国道114号を走る 緩やかな勾配と川に沿った谷に入る→20km圏出た辺りから線量計上昇 バーグラフが振り切れ、スペクトルが表示されなくなる 40μ 木村氏「原発前が70μSv/hなのでそれの半分以上」 114号線 20kmに渡り高濃度 岡野氏、川沿い谷間は天候の変化が激しい事と関係したのでは、と データ提供 (株)ヴィジブルインフォメーションセンター 3月12日1号機爆発後、北風→14日3号機爆発後、南風 →いわき、東京方面へ→15日朝2号機爆発後、北西 →福島市午後5時線量上昇 赤宇木はこの風に運ばれた 15日夜半の冷え込みで谷に雪 「狭い谷間に滞留していた放射能は雪に補足されて地表に落ち、土壌や植物に吸着」 赤宇木の岩倉さんの日記 2週間で4日雪や雨 放射能の流れは谷沿いに国道114号で福島、一部は分岐し飯舘村へ 114号から399号へ入り北上→峠 文科省のモリタリングポスト点在 ホットスポット →峠を下ると飯舘村 人工約6千人 3分の1が農業 3月29日 京都大学・今中哲二氏と広島大学の遠藤暁氏 学術調査団を組み、飯舘村の汚染状況を調査 村役場の協力のもと 130か所測定 汚染の深刻さは予想を超えていた 今中氏「現実とは思えない」 「私はここでおきている汚染状況がどういうものかを、 きちんと測定して記録する、そうして歴史に残す。これが僕の仕事」 村内5カ所で土壌サンプル採取 4月上旬に公表された報告書 130か所で測定されたものから汚染マップ 村の全域 南部一帯は大きな値 土壌サンプル 半減期30年セシウム137検出 農業が出来ない状態 今年の農作物の作付けを一切行わない事に 山菜も放置 清流のヤマメ釣りも来ない 生活を奪う放射能・・・ 4月22日 岡野氏・木村氏 福島市内へ 30万人暮らす県庁所在地 0.5~1μSv/h スペクトル セシウム134・137 岡野氏「学校の校庭とか公園とかの方がね、降ったものがよく分かるんだ」 信夫山(しのぶやま)の裾で線量上がる 山の上の公園 3.4μSv/h コケとか沈着しやすいものが多いと線量高い 南東部の渡利(わたり)中学校 グラウンド脇 4~4.25μSv/h →木村氏曰く、チェルノの今現在の3km圏と一緒 福島市内汚染地図 赤2μSv/h以上 町の南北の山の側や周辺部の農地 風に乗って入った放射能が滞留し、雪により地面に沈着と考えられる 渡利中学校では事故後校庭を使用していなかった。 4月19日 文科省 限度量20mSv/y 校舎の外の上限 3.8μSv/h → 上回ると屋外活動1日1時間以内 「年間20mSvは、18歳未満の作業を禁じた放射線管理区域の4倍近い設定」 福島県教職員組合 実験:3μSv/hの所の土を10cm取り除く→1μSv/hを切る 郡山市 原発から60km 4月27日 市立薫小学校基準値超え→校庭の土3cmを削る 文科省は1時間以内なら放射能除去の必要なしとしている 市独自の判断 土を削った後、4.1→1.9μSv/h(地表1cm計測) 土→市内埋立処分場へ運搬予定 人口約4500人逢瀬町 河内(こうず)埋立処分場へ 27日緊急説明会 郡山市生活環境部長等 「除去した表土は格別放射線量が高いという訳ではありませんで・・・」 住民「風評被害で河内の農産物が売れなくなる」「農家いじめだ」 「事故は東電と国に責任がある、市は何故東電と交渉しないのか」 28日 除去された土は校庭に山積み、ビニールシート 郡山市長が近隣の市長と共に、国に支援を求めている 国は校庭で保管するよう指示したまま 5月2日 福島の親達が抗議 参議院議員会館へ 校庭の土をビニールに入れて持ちこみ交渉→20mSv/y撤回要求 文科省原子力安全監 「20mSv/yが危険ではないというふうに私は思っている」 「ただし、20mSv/yが良いとは思っていない」 「私どもが出した通知を守ってもらえれば安全上問題はない」 文科省が助言求めた原子力安全委員会 「20mSv/yを基準とする事は認めていない」 「年間20mSv/yは子供に通用しない」 「許容出来る限度は申し上げていない」 4月 木村氏がサンプル送った研究者達が広島大学に集まった 髙辻氏、50点近いサンプルの特徴を報告 例えば、セシウム汚染は44km地点より4kmで2000倍以上 放射性核種の比率はほぼ同じ 静間氏、チェルノブイリは高温でドカンと行ったため全部噴き出した 今回はジワジワ出たものが拡がって来ている 遠藤氏、燃料棒自体が燃えてない、または水蒸気爆発で吹っ飛んでいないため 基本的に揮発性のものが出て来ている セシウム、テルル、バリウム、ランタン 事故の複雑な様相を読み解く分析は始まったばかり。 福島第一原子力発電所 正門 60μ超える 中に入れず 木村氏 いずれ事故現場に足を踏み入れたいと 原発1km土壌サンプル→金沢大学(特殊な分析可能) 木村氏、岡野氏、新旧2人の学者 放射線地図 走行距離3000km
by Nixe_ll88
| 2011-05-18 10:06
| 政治・反戦
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