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Videonews.com:4/30更新「原子力のこれまでとこれからを問う」
小出裕章氏インタビュー(1) 上記のつづき 神保氏:やはり(小出先生が)少数派である事は間違いなく、 それは、非常に困難な道のりだったのではないか。 今は、あんな事故が起きたから、いろいろなメディアが 先生先生とやって来て、コメント下さい、と言っているかもしれない。 あれだけ安全神話みたいなものが国を挙げて喧伝されている時に、 所謂ただの運動家ではなく、 専門家であるから危険だと言っているのは物凄く少数派だった訳で、 その少数派としての、ある意味では試練を、 ずっとここまで乗り越えて来れたというのは、 振り返って何だったかと思うか。 小出氏:何にも試練が無かったからだ。 神保氏:試練は無かった。 小出氏:はい。 神保氏:辛い事とか、懐柔される事とかなかったか。 小出氏:何もありません。 何か週刊誌で、「迫害され続けて来た小出達」みたいなものがあったようだが、 私は迫害など一度もされた事がない。 神保氏:失礼ながら訊いてしまうと、 先生は今の年齢でまだ助教でおられる訳で、その事をいろいろ訊かれると思うが、 それは先生が、その学問の世界で明らかに反主流の立場を取っている事と 先生から見て関係あるのかないのか、というのは、どうか。 小出氏:それは大学のポストというのは、 大学の思惑、あるいは京都大学は国立だから国の意向というのは、 もちろんあるだろうと思う。 例えが6人組と呼ばれて来た私の仲間の中には、 その人がいなければ日本だけでなく、 世界の学問が成り立たないという仕事をしていた人もいるが、 結局教授には誰もなれないという事だがら、 もちろんあると思う。 でも私は教授になりたいと思った事が、一度もない。 私は74年に原子炉実験所に来た。 その時の大学の職階は、教授・助教授・助手で、 私は助手に採用されて、ここに来た。 途中で大学の職階が、教授・準教授・助教という名前に変わり、 それで今私は助教、つまり昔の助手のままいる訳である。 ですから、37年間助手。 きっとギネスブックに申請したら、 「37年間最下層にいた教員」と言って載るのではないかと思うが、 だが私にとり、とてつもなく居心地の良い職階だと思う。 37年間、誰からも私は命令を受けた事がない。 誰にも命令をした事もない。 宮台さんは教授だから、子分もいるのかもしれないし。 神保氏:ずっとなりたくないと抵抗していて、 僕にも泣きついていたのだけれど、 最後はしょうがなしに教授になった、途端に凄い忙しくなった、確かに。 雑用とか。 小出氏:いろいろな事をやらなければいけないから大変だろうと思う。 だが、私はそういう雑用を負う責務も無く、 人を動かす責務もないため、 自分の好きな事だけをずっとやり続ける事が出来たという とても有難い職階だと思っている。 神保氏:研究する上で、助教という立場が制約になったりはしないのか。 教授になれば、こういう予算が取れるとか何だと。 小出氏:少し研究費が多くなるという事はもちろんある。 それから、国に尻尾を振れば、もちろん研究費が来る、とか、 企業との共同研究が出来る、とかあるだろうが、 そんな事をしてまでお金を欲しいと思った事は一度もない。 神保氏:小出先生や今中先生の飯館村の調査も注目していろいろな所で使わせて頂いているが、 おふたりが、まだ熊取6人組の中で残っている、と。 その後に続く人達というのはいるのか。 例えば、反主流でも全然構わない、 そういうポジションで研究する人が必要だ、という事で、 その後の世代は控えているのか。 小出氏:6人組と呼ばれている私達の仲間というのは、 世代で言うと、4人と2人に分かれる。 上の4人というのは、60年安保世代に学生だったという人達。 自分のやろうとしているアカデミズムが 社会的にどういう意味を持っているかという事を学生時代に問われた、 という世代な訳である。 神保氏:小林圭二さん、川野真治さん、海老澤徹さん、瀬尾健さんですね。 小出氏:その4人が私の仲間であった訳だし、 今ここに残っているのは、私と今中さんのふたりだけとなった。 私と今中さんは、所謂70年代安保、それで大学闘争という世代。 学生の時に、どうしても自分がやろうとしている学問が 社会的にどういう意味を持っているかという事を問われ、 その答えを探し求めた人間だった訳で、 それがきっと6人組という集団を作ったと、私は思う。 でも、70年安保で終わってしまった訳で、 80年安保なんて無かったし、90年安保も無かった。 もう自動延長でずっと来ている。 自分の学問がどういう意味かという事を問われないまま、 静かな大学の中で学問をして行く、 そういう世代がずっと今日まで続いているのだと、私は思う。 ですから、ひたすら社会的な問題は考えない、 自分のやっている学問をやっているだけという人が多いのだと思う。 この実験所にも、80人位の教員がいて、 順番に定年でいなくなって、新しい人が入ってくる訳だが、 新しく入って来る人の中で、社会的な問題を考えるという人は やはりあまりいなかったように思う。 でも、ゼロだったかというと、そうではない。 私達がやっている事に共感をし、 仲間になろうとしてくれた人も何人かいた。 だが、私は積極的にその人達を誘わなかった。 神保氏:それは? 小出氏:要するに、6人組という名前はどうしてそんな名前になったかと言うと、 当時中国の「4人組」というものがあって・・・ 宮台氏:文化大革命を指導した? 小出氏:そうです。 犯罪者として、後ろ指を指されたグループがいた訳である。 神保氏:そういう汚名なのですね、もともと。 熊取6人組というのは。 ヒーロー物語のように、MBSの(ドキュメンタリー)を見たから。 小出氏:そうです。 ですから、6人組というのは、こういう社会の中では、 要するに、犯罪集団だというような意味をこめて、 きっと誰かが私達を6人組と呼んだ。 別に私達が自分たちで6人組と言った訳ではない。 呼ばれたから、私はそうか、結構だと思って、 自分で6人組という言葉を使うようになった。 周りから見れば、私達のやっている事は、国家に楯突いている訳であり、 面白くないと思っている人は多いと思う。 特にアカデミズムの世界の中で言えば、 国家の方棒を担いで、原子力を進めようとする人達が多い訳であるから、 そこで原子力に抵抗するような事をするというのは、 所謂アカデミズムの世界の中で安穏と生きて行こうとする限りは その道を閉ざす事になる。 ですから、私は、私達の仲間に入ってくれようとした若い人達を、 誘えなかった。 そういうような立場にさせてしまうという事で。 神保氏:むしろ止めたという事か。 止めておけ、とう感じか。 小出氏:止めておけ、とは言わなかったが、 積極的に一緒にやろうというふうに誘わなかった。 そのため、そういう人達は、結局原子炉実験所から去り、 別の所で職を得て、それなりの活躍を今でもしている人達がいる。 誘わなかった、 そして6人組という初めに決意をして集まった メンバーだけでやって来て、 4には既に・・・瀬尾さんはお亡くなりになったし、 3人はもう定年でいなくなって、 既に2人になった。 私にしてもあと数年で定年になって辞めるし、今中さんも同様。 私と今中さんがいなくなった時には、所謂大学という世界で、 原子力に抗議を続けるという、抵抗を続けるという教員はいなくなるのかな、と思う。 神保氏:これは、京大に限らず。 小出氏:物理学や地震学をやっている人で、原子力に抵抗している人はいる。 だが、原子力という世界の中で、 原子力に抵抗する人間はたぶんいなくなるだろうと思う。 神保氏:困りますね、専門家がいなくなると。 宮台氏:今の先生のお話で非常に印象深いのは、 僕自身は71年から73年まで中学高校紛争に関わっており、 その頃にいろいろな本を読んだという事もあって、 少し口はばったい言い方になるが、 「美学」という事について学ぶ事が出来た。 美と美学は違って、美は人が見て美しい、褒められるものだが、 美学は人が見てみっともなかったり、 場合によっては蔑まれたりするようなものだが、 しかし美学は、行動原理としてその人を貫徹しているもの。 先生の話を伺っていると、美学の筋を凄く感じると同時に、 やはり美学を育んでくれた時代がある時代にあったのかという気がして、 逆にそういうものが今までは無くなってきたが、 3.11以降は少し違うのかな、という気がしている。 先生が原子力の発電の合理性の問題と合わせて、 ライフスタイルの問題をずっと書いて来ている。 我々の生活はどこかおかしい、と、 今までの3分の1のエネルギーでもっと幸せに生きる事が出来るはずだ、と。 実はこういう議論を特に北欧やゲンルマン系の人達は良くする。 実際エネルギーを使わない家だけれども、 日本の家よりも遥かに快適性の高い家とはどういうものか、 一生懸命民間のメーカーも研究するが、 僕たちは、エネルギーの消費量と 何か、幸せか何かよく解らないが、良い感じというものが並行すると思い込んでいる、 それがおかしいと書いている。 そこも、行動原理としての美学という事、 その本筋さえ弁えていれば、後は枝葉だ、という発想法が貫徹を感じる。 神保氏:小出さんの本を読んでいると、 途中からスローライフの本を読んでいたのかな、という気がして来る。 原発の話のはずが、最後はそういう感じになる。 ただ、僕は、そういう中にあっても、 国立大学で国家の政策に反対している人間を ちゃんと包摂する京都大学の懐の広さという、 そんな話も小出さんがされているのは存じ上げている。 時間があまりないので、どうしても押さえたいものが2点あるので (それについて伺いたい)。 ひとつは、本質的な話を小出先生に訊きたい。 要するに、原子力の本質的なもの、原子力の問題とは何か、 という所について、先生の意見を伺いたい。 原子力発電でもいいが、 人間がそのような形で原子力というものの力を手に入れた、 という事の意味を、我々はもう一回考えないといけないのではないかと、 今回の事故で私も思ったし、思った人が多いのではないかと思う。 小出先生にとって原子力というものの本質とは、 あるいは原子力の問題とは。 宮台氏:補足的な質問させて頂くと、 小出先生もいろいろな所でおっしゃっている 原子力発電とは結局発熱装置が違うだけで、蒸気機関であると。 火力だったり、石油・石炭ではなく、 あるいは太陽熱で発電する場合もあるが、 要するにタービンを回すための蒸気を原子力の熱で取っているだけ。 単なる蒸気機関。 その事を考えると、原爆が日本に落ちて、 その後5年以内に水爆実験が米ソで始まり、 フランスとかスイスとか各地がそれを追い掛け、 兵器としての水爆を持つという宣言をする。 全く同じ時代に、蒸気機関を原子力で温めようという話が出て来るというのは、 科学的な合理性であるとはちょっと思えない、 別の事情であるように感じる。 神保氏:核のオプションの話も最後に行かなければいけないと思っていたが、 ある種、科学的に考えた時に、そこに悪魔的ファウスト的取引と言われるように、 膨大なエネルギーの代わりに何かを与えるいるのではないか、 という見方も指摘されているが、どう考えるか。 小出氏:ファウスト的取引と言う時には、 要するに膨大な危険はある、という事を一方に置いて、 膨大なメリットがるという事を一方に置いている。 でも、私は膨大なメリットすらないと言っている。 もともと私は原子力に夢を持った人間で、 未来のエネルギー源になると思い込んだ人間だが、 原子力で使おうとする燃料、ウランというのは、地球上には殆ど無い。 石油に比べても、数分の1しか資源が無い、 石炭に比べたら、数十分の1しか無い、という そんな資源だった訳だから、もともとメリットなど無い。 宮台氏:長く使っても40年とか言いますよね。 小出氏:そうです。 今の世界のエネルギーを全て原子力で賄おうと思ったら、 今宮台さんがおっしゃったように40年もたないんじゃないか、 と私は思う位、とても貧弱なものだった。 そんなものを、膨大な危険と計りを掛けて、 取引なんかする必要もない、というそれ程バカげたものだった、 と私は思う。 神保氏:原子力にかけた夢というのは、見当違いだったという事になる訳ですね。 本質的には。 小出氏:そうです。 神保氏:ただ、今福島で一生懸命水を掛けているが、 僕らなど素人的表現で申し訳ないが、 鉄なんかはどんなに熱くなっても、水を掛けておけば冷える。 再臨界や崩壊熱、ひとつを取っても、 水を漬けているのに、ずっと内部から熱を出し続けるなんて、 これは凄いな、というように思ってしまう。 何か知らないけど、金属をただ置いておくだけで、 内部からどんどん熱が出て来る、と。 そういう素人考えも危ないと思うが、 やはり原子力とは何か特別なものなのかどうかという所を、 是非科学者から説明を聞きたい。 小出氏:それはもう単純。 原子力とは、ウランの核分裂反応を起こさせてエネルギーを取ろうとするものであり、 核分裂反応で出来るものとは、核分裂生成物という「死の灰」。 それを生み出さなければ、エネルギー自身を取りだす事も出来ない、 という、そういうものの訳であり、 核分裂生成物とは、圧倒的な危険物である。 どんな意味で言っても危険物。 火力発電所を動かしたら、CO2が出るからとんでもない、 というふうな事を、皆さん言っている訳だが、 冗談を言わないでくれ、と私は思う。 火力発電所で出すものは、せいぜいCO2。 CO2とは、この地球という惑星にとって絶対に必要なものである。 生命系を維持するために。 それがあたかも、物凄い悪者であるかのように言いながら、 原子力が生み出す核分裂生成物については、 一切何も言わないで、地球環境に優しい、エコだ、クリーンだ、 という説明がまかり通るというのは、 とてつもない宣伝というか、嘘というか、まかり通っていると思う。 その核分裂生成物というものの危険性がとてつもなく大き過ぎて、 下手をすれば今回の福島の事故ような事になってしまう。 初めに聞いて頂いたつもりだが、その事は皆初めから知っていた。 だから、都会には建てられない、過疎地に押し付けるという事をやった。 そのツケを今、日本というこの国で払っているという事である。 神保氏:結局60年代は夢を見てしまったかもしれないが、 小出先生もそうだったが、 その夢は早い段階で夢であるという事が解ってしまった。 メリットも妖しい、デメリットはどんどん大きい事が解って来る、 しかもどんどん滓が出るから、 日本は未だにトイレのない町の状態で、相変わらず糞詰まり状態である。 そして、福島は、使用済みプールに沢山置いておくから、 爆発したらそれも飛び散ってしまう、という余計な事まで問題になっている。 あらゆる問題がある。 しかも、コストも実は安いと言っていたのも、 補助金であるとか、発電部分のみのコストの話しかしておらず、 今回で安全基準が上がったら、もっとコストが上がる。 宮台氏:CO2も同じ。 採掘・生成・濃縮・建設、そして半永久的に保存するとしたら、 冷却のためにエネルギーを使う。 神保氏:何か知らないけれども、 今までメリットと言われて来たものは、全部殆ど崩壊しており、 デメリットは相変わらずどんどん増え続ける、という事になると、 一体何故我々は、しかも日本は地震国で津波があり、 狭くて逃げ場がないというような、 どう考えても、子供が考えても、誰がこんなものを推進して来たんだ、 というような条件を簡単に言えてしまうような状態になっているのに、 でも日本はここまで推進して来たばかりか、 今この瞬間も、福島は止まっているが、他は全部動いている。 浜岡も含め、全部フル稼働している。 そこで、最後は、戦って来た先生だから是非訊きたいのだが、 その本質にあったものは何だったのか、 何故日本は、冷静に考えたら不合理な選択をし続けて来たのか、 という事は、小出先生の中でどのように説明がなされているのか。 小出氏:60年代から70年代初めにかけて、 世界中が原子力に夢を持った、と先ほど私は言った。 それは、だぶんそうだったと思う。 だが、例えば、米国で言うと、その夢から覚めたのは74年。 それまで、物凄い勢いで原発を作り、運転させる、 そして、建設する、計画する、というのはウナギ登りで上がって来たが、 74年をピークにして、それ以降どんどんキャンセルという事になった。 計画中のものはもちろんキャンセルされ、 建設中のものすらキャンセルされる、という時代に74年にもう入っている。 79年に米国でスリーマイル島での事故が起きる訳で、 それからまだどんどん減って行くという事で、 もう米国では30年にもわたって1機も新規立地もない、 そういう状態になっている。 米国では、原子力産業が崩壊してしまっている。 ヨーロッパも同様。 ヨーロッパが原子力に見切りをつけたのは、77年か78年。 ウナギ登りに上がって来た運転中・建設中・計画中(の原発)が、 次々とキャンセルされるという時代に入った。 日本だけは、そうならなかった。 神保氏:アメリカ、ヨーロッパでは、今みたいな事が解ったから、 という事ですね。 合理的ではないと。 小出氏:そうです。 メリットとして考えたものは、もうない、 デメリットはとてつもなく大きいという事に気が付いて、 撤退を始めているという訳である。 日本だけはそうならなかったという理由は、 たぶん日本という国の長い歴史にあり、 お上意識というか、お上がこうだと決めてしまえば、 それに殆どの人が付き従って行くという歴史の中で、 日本の国家というものが、どうしても原子力をやると言い続けた、 というのが一番の理由だと、私は思う。 その他に、電力会社の儲けの話であるとか、 三菱・日立・東芝という巨大原子力産業の儲けであるとか、 そういう事はあったが、 何よりも国家としての思惑という事だと思う。 つづき Videonews.com:4/30更新「原子力のこれまでとこれからを問う」 小出裕章氏インタビュー(3)
by Nixe_ll88
| 2011-05-02 20:34
| 政治・反戦
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