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中村哲治議員が録音したものを文字起こししてみた。
音声はこちらにアップされている。 http://data.tezj.jp/2011-0214ozawa.MP3 進行役: 小沢一郎先生、本当にありがとうございます。 初日の開校式、また昨晩のOB会・懇親会共々にご出席を頂きました。 いよいよ本日は最終日でございます。 早速でございます、小沢先生、どうぞご講義の方、 よろしくお願いを申しあげます。 皆さん、おはようございます。 昨晩はわずかな時間でしたけれども、楽しく皆と過ごさせて頂きまして、ありがとうございました。 あの後またひとしきりいろいろと議論に、華が咲いた事と思います。 今日は最終日ですけれども、最初に申し上げました通り、 それぞれの諸君の人生の中でひとつの経験として また楽しい思い出として、また人生の何らかの糧になるであろう事を心から期待を致します。 今日は、何をお話ししようかなと思っておったんですけれども、 私、あの、皆さんご存知の方も多いと思いますが、 日本人がまず自立しなければならない、自立した日本人の集合体としての自立した日本、 そうでなければこの国際社会の中で荒波を乗り越えて、 日本の国、また日本人、その平和と安泰・安定を利す事はできないんだ、というような事を 機会があった時に言っておりますけども、 今日はですね、日本人はこう、ある意味で変わらねばならない、 改革しなければならない いう話を超えて、 では自立した日本は、あるいは自立した日本人は、 このグローバルな地球の上で何をすべきなのか、日本の国は何を目指すべきなのか、 という事について若干申し上げたいと思います。 実は私今、『日本改造計画』という、そういう題に(???)出させて頂きましたけれども、 その続きを書いておる所なんですが、ほぼ書き上げましたけれども、 今日の時代的な変化や政権交代やらを考慮して、 もう一度筆を入れ直さなくちゃいけないな、と思っておるんですけれども、 その中で、というよりも私の頭の中で、 自立した日本が、自立した日本人が目指すもの、 あるいはなさなければならにもの、というのは何だろう、 日本の国というものを、それを考えた時に新しいこの21世紀、 どういう世紀に世界はしなければならないのか、 これは日本人だけではなくして世界の人間、民族全ての課題だと思っておりますけれども、 それを考えました時に、かつて冷戦が終わった時にこれで世界は平和になる、と、 世界中の人も、あるいは、 特に日本のマスコミや政治家を含めていろんな人が、そう言いました。 しかし、現実には東西のコントロールが無くなりました結果、 むしろそれぞれの自国の利益を主張する、 当面の敵がなくなりましたから、各自が利害をあからさまに主張する、 という状況になってきたんだと思います。 その結果、世界の政治経済あらゆる意味でいろんな問題が生じてまいりましたし、 特に後進国を、貧しい国を中心に致しまして、いろんな紛争が表面化して来ました。 それはかつての冷戦時代以上に地球上のあらゆる所で紛争が繰り返されると言う状況になりました。 人々が期待したのとは全く逆の結果になった訳ですが、 日本としてはこういう中にあって新しい世紀、このままではいけない、 本当に人類が、そして日本が、永遠に平和で豊かに暮らしていくためにはどうすればいいのか そのためには、本当に世界中の人々が大きなひとつのあるべき、私は国家像と言うよりも、 人類としての有り様というものを共有しないといけないのではないかと、いう風に思っております。 その中で、私が、これまた機会あるごとに唱えてきましたのは、いろんな人も使いますけれども、 「共生」という言葉であります。 共に生きる、この共生という意味はふたつの大きな側面があるだろうと。 ひとつは、当然、諸国民諸国家多種民族との共生、すなわち平和の問題であります。 もうひとつは、やはり自然との共生という事であろうと思います。 それは環境の問題であります。 ですから、このふたつの大きな人類史的テーマ、 これを何としてでもこの21世紀にお互いが理念を共有し、 解決せねばならない大きなテーマだろうと思っております。 そこで、日本なんですけれども、私が今申し上げましたように、 日本人は自立しなきゃいけないと言い続けて来ているんですが、 ちょっと歴史を振り返ってみますと、日本はたぶん世界中で歴史的に最も豊かで最も平和な地域、 そして後には国家であったろうと思います。 よくわかりませんが、太古の時代は今よりも日本列島は気候温暖で豊かだったと言われております。 そして、たまたま島国であったという事もありまして、日本は大陸諸国家と違って「和」、 あの海の中の島々とか、石器時代からそのまま暮らしている人達とかを別にすればですね、 国と呼ばれておる中で最もいい地域であり、生活を送って来た、と思います。 日本は、これも、ものの本や人の話によりますと、弥生時代の辺りまでに数百年、 500年ですか、600年ですか、 この時代に大陸や半島から200万から300万の人達が移住してきたのではないか、 という風に言われておりますけれども、 大陸や半島から、そんなに大きな、ほぼある時の日本列島の人口に匹敵する位の 人数な訳ですけれども、 いわゆる渡来人、外国からの人達がそんなに大勢入って来たにも関わらず、 日本の歴史の中では血なまぐさい戦争、争いというのは殆ど記録されておりません。 有史、歴史が明らかになって以来もいわゆる権力者同士の権力闘争というのはありましたけれども、 一般の国民を巻き込んでの血みどろの戦いというのは、日本の歴史の中では、全くありません。 そういう意味において日本と言うのは、世界では本当に稀有な存在だったろうと、私は思います。 ですから、今、日米・日中とかというものは素通りだというような話をよく聞きますけれども、 それは日本人自身の問題であると同時にですね、 国家の形成そのものからして、その大陸の連中というのは大体発想が同じなんですね。 だから話が早いんですよ。 日本人と言うのは特殊ですから、なかなか話が合わないという面も民族的な点から言っても そういう所がある訳ですけれども、 いずれにしても日本はそういう平和で豊かな数千年の歴史を送って来た。 そして特に徳川の300年、260年ですけれども、 太平の時代にかなり今日の日本人の性格というものは作り上げられたのではないかと 思っていますけれども、いずれにしてもその基本は、9期生の人にも言ったかな、去年、 典型的なのは聖徳太子の十七条憲法がありますね、最初の憲法と言われるものですが、 第一条は、「和をもって尊し」という事で定められておりまして、 十七条のうちの最後の十七条は、「絶対ひとりで物事を決めてはいけない」 という風にされております。 それが、当時はたぶん大和朝廷が同族を、そう言う事、戦争というよりも、 いろいろな談合で国家統一をしてきた訳ですので、 そういうような国の状況からして、あの十七条憲法というのに、 そう定められたのだろうと思いますけれども、 それがずうっと経つにつれて、とにかく「和をもって尊しとなす」、 全会一致とコンセンシャス社会というのが大体日本人社会の大きな考え方、 柱になった考え方になってきたという事だろうと思います。 そういう意味でね、今なおそれが続いております。 極々最近の話をすれば、ちょっと前までは55年体制と呼ばれる 自社の対立の構図という政治形態がありました。 これは民主党の若い多くの人達が経験してないから勘違いしているんですけれども、 この時代は、本当に不毛なイデオロギーの対立だったという風に続けて、 今度は話し合いだ、なんて言っていますけれども、全然嘘っぱちでありまして、 55年体制というのは正に全会一致の談合社会のそのものの体制でありまして、 たまたま社会党を始め野党は、野党としてのパフォーマンスをし、 自民党は自民党の政権党のパフォーマンスをしてきた。 ま、共産党を除けば全て全会一致で国会運営をなされてきました。 ですから、政権交代をして本当の意味の議会制民主主義を確立するとすれば、 それぞれの政党の自己主張と主義主張、理念、政策があるはずですから、 同じだったら何も分かれている必要はないもの、全部一緒になりゃいい話でして、 同じでないから違う政党になっている訳で、本当に丁々発止の議論をし、 最終的に主権者の判断を問うといのが民主主義だと、 私は理解しておりますけれども、 まだ、不毛の対決をしてきたから何か話し合って談合するのが新しい時代だと まるっきり逆に考えている人が多いような気がしておりますが、 これ、前にも話した事がありますが、 いずれにしても尚そういう手法、考え方が日本社会を支配しております。 ですから、それはある意味で自立していない、自己主張がない、 ほぼ同じ意味でございますけれども、 自己主張をすればその責任を取らなくてはなりません。 だから、日本人の会合と言うものは大概全会一致でありますし、 誰が決めたか解らない仕組みになっている。 誰が決めたか解らなければ、責任を取る必要がない。 何となく決まって何となくこうだっていう話になります。 ですから、その意味で、平和で豊かでいい社会だったから、 論争する必要も、他の大陸諸国のように論争する必要性もなかったし、 また波風立てて責任を、誰かの責任を追及するという必要性もなかった。 そういう事はやめよう、というのが今日まで及んでいるのではないかと思っておりまして、 私はそういう発想とシステムでは絶対日本は自立できない、 この厳しい世界状況の中では生き延びられない、そう言っているんですが、 今日は、そっちの側面、切り口からの話をしようとしているのではないんです。 そうでなくて、それはそれとして、そういう日本人がですね、 私は21世紀の、さっき申し上げました共生の社会、共生の地球、 これを作る分に於いて非常に日本人は向いていると、その発想が、そう私は思っています。 ある意味で、これまた言うとマスコミがいるから変な報道をされますけれど、 やはり欧米というのはその背景にキリスト教哲学がある、と これは当たり前の事で、キリスト教は一神教、唯一の神様でございますが、 私は、ヨーロッパ文明が今日の地球規模の人類のテーマを解決するには向いていない、 ヨーロッパ文明はその意味で限界に来ているのではないかとそういう風に思っております。 そうしますと、じゃあどうすればいいのか、何故向いていないのか、 何故日本には向いているのか、という事ですけれども、 日本人は自己主張が無いと言いましたが、その反面ですね、何でも受け入れるんですね。 何でも受け入れて何か昔から自分が持っていたような顔をしているのが得意であります。 ですから、宗教も八百万(やおよろず)です。 ただの人間も死ねば仏様になる、 仏教界の人が論理的にはどうだとかこうだとか言っていましたけれども、 とにかく死ねば仏様という訳ですから、 それからちょっと皆に尊敬される人は神様になりますしね。 日本のお寺は神仏混合ですし、一緒で全然平気で何とも違和感を持たない。 お寺の中に鳥居があるのは、しょちゅうですよね。 それから、他の宗教に対しても日本人は外国と違って非常に寛容だと思います。 例えば典型的なのは、ユダヤですけれども、 ユダヤ人に対する偏見と言うものは日本人には殆どないですよね、 ユダヤ教に対しても。 むしろアインシュタインやその他から、ああユダヤ人というのは利口な奴だという、 あるいいは金儲けの上手い奴だっていう認識はありますけれども、 ユダヤ人だから排斥するというような意識はない、と。 これはもうヨーロッパと全く違う。 ヨーロッパは綺麗事を言っていますけれども、物凄くそういう意味での許容する文化はないですね。 ですからその意味で日本は、悪く言えば、融通無碍でいい加減なんですね。 よく言えば今言ったように、あらゆるものを、宗教やその他、 あらゆる宗教や自然科学であれ何であれ素直に受け入れる。 そして、それを受け入れて自分のものとして、この社会に生かしていく、 というのが特技と言ってもいい位の日本人の性格じゃないかと私は思っております。 そういう意味において、私はこの21世紀の共生の世界を作り上げる上で、日本人のこの、 悪い言い方をすればいい加減で融通無碍という事になりますけども、 本当にその資質を上手く活用し伸ばしていけば、 私は21世紀の社会のモデルケースになるような日本と言うものを 作り上げる事ができると思いますし、 またそれを日本から世界に発信するという役割を日本人自身が担っていくべきではないだろうか、 という風に考えております。 ですから、ふたつのテーマ、戦争・平和、戦争・紛争の問題を考えてみましても、 その根底にあるのは、所得の格差、貧困であります。 開校式の時に申し上げました。 アルカイダ、オサマ・ビン・ラディンは依然として捕まらない。 何故か。 それは名もない貧しい大衆が支えているからだ、と。 そうでなければ、もうすぐ通報されて捕まってしまう。 アメリカが血眼になって捜しても、探し切れない。 そこは、ですから、その、宗教的対立だという風に、 アラブと欧米社会の対立を捉える人がいますけれども、 私はそうではない、という風に思っております。 その争う時のひとつの背景となる思想に、宗教思想があるとは思いますけれども、 これが本当に皆が一定の生活水準を維持して暮らしていたら、 たぶんこんな争いは起きないのではないかと思います。 例えば、イスラエルとパレスチナの話でも、 パレスチナ人がイスラエルと同じ水準と言わないまでも食うに困らない生活を出来ていれば、 何で好んで争いをするか、という風に私は思うんですが、 いずれにしろ、そういう意味でも、日本は、 小泉改革でもって非常に格差の大きい歪んだ社会になってしまいましたけれども、 それでも、まだまだ私は日本人と日本の国は公正なそしてその意味では格差の少ない社会に、 作り直す事が容易にできるという風に思っていますし、 日本人はその能力がある、長けているという風に考えております。 それからまた、使命を与えられれば日本人はきちんとそれをやりこなすだけの 能力や技術や今や資本も持っていると、 そういう意味で、いろんな話に行っちゃうと長くなるからやめますけれども、 平和の問題も私は国連を中心とした平和維持という事に、 私の考え方は折に触れて話しておりますけれども、 しかし、これは、武力の行使というのは、これも開校式でも言ったかな、 アメリカがいくらやっても、世界最強の国家がアフガンやベトナムを相手に勝てないんですから、 それは何かという事をよく考えなければならない。 やはり、人を治めるのは力ではなくて徳でありますし、また、安定した生活を与える事であります。 「衣食足りて礼節を知る」という中国の言葉がありますけれども、 やはり生存していくためには、一定のレベルの生活というのを維持しなくては社会は成り立たない。 そう言う意味でもですね、私が国連中心の平和維持というとすぐ、 あいつは武力でどうのこうのという事をマスコミを中心に言うんですけどね、 私はそこを強調して言っているんではりませんで、むしろ今の、日本でも、 できる貢献は殆どないですけれども、例えば金、 ODAというのも使っている割にはあまり有難がられないし、効果がない。 むしろ、海外青年協力隊、こういう人たちの活動、 あるいは、アフガンに行っても三浦先生でしたか、のような、井戸を掘ったり、 田畑耕したり、そういう本当に生活に密着した日本人の活動というのは 高く評価されているという現実があります。 ですから、安全保障上の協力も時によっては積極的にしなくちゃいけませんけれども、 我が国が果たす平和への貢献というのは、 その殆どが今言ったように民生の安定のために貢献する事が、 我が日本の役目だと思っております。 ただ、この民生的な協力と言いますとね、すぐ安全保障の軍事面は危ないし、おっかないし、 民生協力なら安全で、その意味では楽だ、という様な捉え方をしますけれども、 そんな事はありません。 むしろ、アフガンでも、あの、ボランティアのあの人(伊藤和也さん)が死にましたよね。 本当に一生懸命アフガンの人達のために働いていた人が、 タリバンと言いますけれども、僕はタリバンではないと思いますがね、 物取りか何かだと思いますけれども、殺された。 武装していないですからね、尚更その危険はある訳ですよ。 だけど、これまた、開校式の時にアメリカ大使との話したっけ、しなかったかな、 アメリカ大使とも話したんだけども、 何十万名(よく聴き取れず)兵を送ったってダメなんだ、 やはりその民生を安定するための活動をしていかなくてはならない。 だけど治安の乱れた所では、むしろ民生民間の活動というのは危険なんですよ。 だから、自分の身が、リスクがあるかないかという判断ではなくて、 自分達が何をなすべきか、皆のために、あるいはアフガンならアフガンの人達のために、 そういう判断を出来るようにならなければ、日本は絶対世界で評価されない、尊敬されない。 そして、このままだと、本当にいずれ私は衰退していく事になってしまうだろうと思っております。 ですから、平和の問題は、軍事的貢献は危ない、民生の貢献は大丈夫だからそっちをやろう、 というような勝手な判断ではなくして、どのようなリスクを負おうともその人達のために、 その人達の生活の安定のために、活動し貢献する、そういう腹構えがないと、これも出来ません。 私は、今言ったように、海外青年協力隊なんかは現地にしっかり溶け込んで、 いろいろ実情は詳細には解りませんけど、非常に評価されていると聞いております。 ですから、そう言われておるのが事実・真実だとすれば、そういう意味での世界各地への貢献と、 それが私は平和への貢献の最大のものであるという風に考えておりまして、 日本人は意識の転換さえできてしっかりすれば、 必ずこの大きな作業をやり遂げる事が出来るのではないかという風に思っております。 もうひとつの環境の問題は、どこまで環境を維持すればいいのかという話になってしまいますがね、 原始時代のようになるのがいいのか、と言えば、そうはいきません。 ですから、文明の発達は結局自然を破壊し続けてきましたけれども、 今まさにそれが、温暖化とか、あるいは気候変動とか、 いろいろな現象を地球規模で起こしている、と。 したがって、どこまでの水準で環境を守って行くという事になるのかは 一概には言えませんけれども、 少なくともこの大規模な気候変動であれ、あるいは温暖化であれ、水質(?)であれ、 人類にも、あるいは、他の動植物にも害を与える事のない水準は、 皆で議論すれば脱しうるのではないかと思っていますけれども、 その事もですね、非常にこれまた直接的なメリットというのか、 個人個人のメリットが利益になりませんから、なかなかこの環境というのも難しい。 ですけでも、例えば、中国が世界第2位だとか生産力がどんどんどんどん上がっているとか、 成長しているとか、言いますけれども、 中国でもどんどんどんどん砂漠化は進んでいる。ゴビの砂漠がどんどん南下してきている。 こういう状況もありますし、アフリカはもちろんあります。 ですからそういうような問題に各国が本気にお互いに取り組んで行くという事が、 私はこれからの21世紀の時に若い諸君には意識として大事ではないかな、という風に思っております。 このグローバルな観点での貢献を考える理由、上に於いてはですね、 いわゆる、理屈で言いますと、ある意味、主権国家論を乗り越えないと、 この地球規模での貢献というものは出来ない。 例えば、よく議論されるのは、私は、国連で常備軍を備えるべきだと、基地法(?)を限度でね、 そして、それぞれの国の単独で軍事行動は抑制する、と。 正に警察部隊としての国連での直轄部隊を作るべきだ。 日本はそれに積極的に提供しろ、事務総長のもとで。 これはかつてですね、ガリ事務総長の時に緊急部隊の創設と言うので、 彼が提案した事があるんです。 その時確かイギリスは賛成しました。 アメリカも半分賛成しかかったんですけれども、やはりアメリカの孤立主義的な考え方のもとで、 否定されましたけれども、今イラクで失敗し、アフガンで失敗し、 アメリカ自身がやはり世界を皆で平和を守って行く以外にない、 アメリカ単独ではできない、という事になりつつありますから、 私はその意味では、日本は率先してそういう考え方を提唱するというのも、 言う、良い機会、良い時代になったのではないかと思っています。 今言っているのは、そういう事を言っているのではなくて、 そういう事をするというにあたって、自衛隊なり別部隊なりどっちでもいいですけれども、 国連に差し出すという事は、それは主権、国家の主権をそちらに委ねる事になるから、 おかしいのではないか、という理屈の上での議論があります。 しかし、私は、それはおかしな理屈であると思います。 それに委ねる決定は国家がする、政府がする訳でございますし、 また今言ったように、グローバルな人類史的な観点からすれば、 旧来までの国家主義、主権国家論を振りかざしていたら、いつまで経っても争いは無くなりません。 やはりそれを超越して乗り越えて、そして大きな人類史的な目標に向かわなくてはならない。 私はそう思っております。 ですからその意味で、これから本当に日本は、そして日本人は、 そういう広い視野に立った国造りと、 そして、世界への貢献という大きな目標を抱いて国造り等を、 国際社会の一員としての日本という中で、 生き延びていかなくてはならないだろうという風に思っております。 本当にその意味では、日本人の特性というのは、正に私は今言ったように、 世界的テーマを解決するのに最も適しているし、 その能力がある、という風に思っております。 私があと何年も生きている訳ではないので、若い皆さんに託すのみですけれども、 どうかそういう祈念(?)と、そして、理想を持ってもらいたい、 若い人には無限の可能性がある訳ですから、歳を取るに従ってだんだんしぼんできますけれども、 皆さんはその夢を理想を常に大きく高く掲げて自分の人生を 頑張ってもらいたいという風に思っております。 私も多少歳を取りましたけれども、 働ける限りは同じような志を持って頑張って行きたいと思います。 皆さんのこれから、更にそれぞれの分野で大いなる活躍を心から祈って、私の話を終わります。 ありがとうございました。 ※誤字脱字、聞き間違い、多少の編集等、ご了承ください。 不明な単語等については後ろに(?)を挿入、 また( )内の文字は私の勝手な補足になります。 約42分の公演だったが、文字起こしにどの位時間がかかるか、 単なる興味からやってみた。 いえ、本当に好奇心のみで試してみました。
by Nixe_ll88
| 2011-02-18 22:36
| 政治・反戦
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