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情報は成否の判断をするためにも、公開し共有する事が、
私は重要だと考えている。 それが普通に生活している人にとって小さな事であってもだ。 もし、もっともらしい事を言うAという団体があったとしよう。 Aが妖しいという事を知っている人物は騙されない。 だが、妖しいかどうかの判断材料がなければ、 騙される可能性はある。 その時、知っている者は、 「無知だから騙される」と言うだろう。 何故「無知」なのか。 それは判断となる材料がないためだ。 知っている者はその時点で情報強者となる。 その強者がAの危険性について語らず、 騙された者の自己責任を言うなら、 それは明らかに矛盾である。 門外不出の極秘事項であったり、 その情報を提供する事によってその人物が危険に曝されるなら、 それは仕方のない事であろう。 だが、知っている者は口を噤み、 騙す側ばかりが大声を上げる。 それが現実である。 あらゆる事に当てはまると思う。 私は「情報」は大きな力だと思っている。 知らないという事がどれだけ不利か、 マスメディアの意図的な誘導を知るまで深く考えた事もなかった。 だから、私は、自分で知りえる情報は、 危険なものでない限り公表すべきだと考えている。 何が正しいか。 正しい根拠は何か。 どこに矛盾点があるが。 何を知れば己が正しい選択を出来るようになるか。 情報の底上げは、弱者層の底上げにつながるだろう。 情報の共有、 まずそこから変えていくべきではないのか。 <追記> ただ、手順を間違えてはいけない。
by Nixe_ll88
| 2010-08-14 19:20
| ひとりごと
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